ワイデックス株式会社は、より多くの方に聴こえる喜びを提供するため、日本とデンマークの補聴器会社が手を結び誕生した会社です。ここでは、その当社の歴史をご紹介します。
1956年、東京の神田駿河台に一つの会社が誕生しました。これが、現在のワイデックス株式会社の前身となる、日本補聴器販売株式会社(1959年に改称する前は「日本補聴器株式会社」)です。社員数はたった3人。聞こえに悩む多くの方の力になりたいと、海外から優れた補聴器を輸入しはじめました。
同じ年には、福祉の先進国デンマークの郊外にも小さな会社が生まれました。これが補聴器の専門メーカー、ワイデックスです。補聴器に熱い情熱を傾けた若き2人の創業者、エリック・ウェスターマンとクリスチャン・トップホルムは、寒くて狭いアパートの一室で昼夜を忘れ、新しい製品の開発に没頭していました。
「一人でも多くの方に聴こえる喜びを提供したい」という同じ志を持つ会社が、同じ年に、それも9,000キロも離れた日本とデンマークに設立されたのは、まさに奇跡といえます。しかしその後、国境を越え一つの会社になろうとは、当時の誰もが夢にさえ思っていなかったことでしょう。
ワイデックスの若き創業者、エリック・ウェスターマン(左)とクリスチャン・トップホルム(右)
日本補聴器販売の創業メンバー。下段左は創業者の深津。上段左は現名誉顧問の吉野
日本補聴器販売は、3人の地道な努力の甲斐もあり、銀座1丁目に移転するにまでいたりました。とはいえ、その道のりはけして平坦なものではなく、資金難で会社の存続が危ぶまれる局面にも幾度となく遭遇。そのたびに、社員一丸となって危機に向き合い、周囲のたえまない協力とお客様の信用を得て乗り越えてきたのでした。
当時を知る吉野(現名誉顧問)は、往時を振り返っていいます。「昭和40年になるまでは、通産省から外貨の割り当て枠を取るのも厳しい状況でした。外貨枠の認可が受けられない場合には、補聴器の輸入すらできません。そんな苦しい状況の中で、ようやく高額だった補聴器が2台売れました。これでお風呂屋に行けると呟いていた同僚の言葉が、今でも懐かしく思い出されます」
現名誉顧問の吉野がお客様に補聴器をお渡ししている当時の様子
日本の小さな会社が少しずつ成長を遂げていた頃、デンマークの会社も地道に技術を磨いていました。あくまでも優れた音質と安定した品質の補聴器にこだわり、聴こえに悩む方々のためにすべてを捧げていたのです。製品の機能はもちろんのこと、その後性能やデザインも追及しはじめました。
しかし当時の彼らには、補聴器に対する強い情熱はあるものの、お金やコネなどといったものはありませんでした。会社を設立するにあたり行ったのは、野菜の自家栽培。僅かでも食費を切り詰めるための苦肉の策でした。そして、このような苦難のすえに、ようやくワイデックスの第1号機となる「ワイデックス561I」が完成。寝食を忘れ図面台と組み立て台の前で奮闘し、納品当日の朝になりようやくできあがったこの第1号機は、補聴器の色と同様、ワイデックスの将来をも金色に変えてくれたのでした。
地下室で補聴器作りに励むクリスチャン・トップホルム
苦心のすえ誕生したワイデックスの補聴器は、ユーザーから高い評価を受けました。そして、その評判を知ったデンマーク政府が大量に注文を依頼。これがきっかけとなり、事業は軌道に乗っていったのです。その後もユーザーの求める製品を次々と発表。世界の補聴器メーカーとして、確固たる地位を築きました。
1996年には、豆粒くらいの超小型サイズ、しかもフルデジタルの補聴器を開発しました。補聴器に入ってきた音を瞬時にデジタル信号に変え、コンピュータで演算。人の話し声を増幅しながら、騒音を抑えることに成功したのです。それは、よりよい聞こえを求める方たちが、まさに長年待ち望んでいた技術でした。アメリカのスミソニアン博物館では“人類の幸福に貢献する製品”として展示され、日本では朝日新聞の一面で紹介されました。ワイデックス社は、補聴器のデジタル時代を切り開いたといえるでしょう。
補聴器が、アメリカのスミソニアン博物館に“人類の幸福に貢献する製品”として展示されたことを機に、ワイデックス社はさらに大きな躍進を遂げました。デジタル補聴器メーカーとして、世界のリーディングカンパニーとして不動の地位を築いたのもこの頃です。 そしてちょうど同じ頃、日本補聴器販売株式会社もさらなる躍進を遂げていました。1964年から約30年の間に世界中の補聴器を知り尽くし、販売のプロフェッショナルとして、札幌、仙台、横浜、東京、大阪、名古屋、福岡と、全国の主要都市に営業拠点を構えるまでになったのです。
その後、「一人でも多くの方に聴こえる喜びを取り戻してもらいたい」という同じ使命を掲げていた日本とデンマークの2社は、互いに手を結ぶことになりました。
2001年1月には、ワイデックス株式会社として新たな第一歩をスタートさせ、2006年には、卓越した補聴器技術と聴覚理論に裏打ちされた最新鋭のISP(統合信号処理)補聴器を発表。補聴器の新しいスタンダードとしてさまざまなメディアにも取り上げられ、華々しいスタートを飾りました。
2010年、ワイデックスは新たなステップを踏み出しました。その象徴がコペンハーゲン郊外に完成した新社屋・新工場です。ドーナツ形の外観が目を引く建物は、周囲の地形や景観との調和を第一に設計、建設されました。そして、何よりも、エネルギーの有効活用と環境への配慮という分野において特筆すべき特長を備えています。例えば、デンマークで初めて採用された新しい地熱・暖房システムは、従来のものに比べて二酸化炭素の排出量を70%削減することができます。また、敷地内に施設した風車による風力発電によって建物に必要な電力を供給しつつ、余った電力で近隣地域の需要もまかなおうとする計画も進行しています。その他にも、雨水の再利用システムや、2万枚のソーラーパネルによる太陽光発電システムなど、最先端の技術や設備がこの新世代の建築物に注ぎ込まれています。
ワイデックスは、最先端のハイテク機器を開発・製造するメーカーとしての社会的責任を絶えず自らに問い続けています。新社屋・新工場はその問いに対する一つの回答であり、この新しい建物から生み出されたワイデックスの補聴器が世界に、そして日本に届けられることになります。
ワイデックスは、ハイテクを投入するだけでは良い補聴器は生まれないと信じています。「補聴器は、よりよい聞こえを提供するだけでなく、その先にある大切な方や友人との当たり前の幸せ、聞こえる喜びを手に入れる道具である」という考えに基づき、すべてのお客様に満足をお届けするために、日々、使う人の立場に立った製品とサービスの提供に取り組んでいます。その姿勢はこれまでも、そして、これからも変わることはありません。